こんにちは。
九条です。
今回の記事は、プログラミング上達のための方法を扱います。
以前に同じテーマで記事を書きました。
(参考記事)
前回の記事が、技術面であったのに対して、今回は精神面のお話をします。
日本のIT業界の技術水準は低い。
いきなり、本題から外れると思う方がいるかもしれませんが、大事な事なので最初に書きます。
日本のIT業界の技術水準は、先進国とは思えないほど低いと言われています。
ごく一部の超優良企業(例えば、スクウェアエニックスのようなゲーム会社)は、圧倒的な技術力を持っているのですが、その一方で、日本全体の平均を見た場合は、非常に低いと言われています。
よく、海外に比べて日本のIT業界は賃金が安すぎると指摘されることがありますが、私は決して安いとは思いません。なぜなら、技術水準が海外に比べて低いので、賃金もそれに見合うものになってしまっているからです。
また、プログラミングで副業ができるという大嘘が、ここまで当たり前のように流布されているのも日本だけではないでしょうか?
本職のプログラマの技術力が低いだけにとどまらず、国民全体で見ても、ITリテラシが非常に低いと思います。
それと、プログラミングスクールが流行っていますが、とにかく理想が低いです。年収1000万円を目標に掲げるスクールが当たり前のように存在します。プログラミングで稼ぐことを夢見るならば、最低でも年収1億円は狙いたいものです。
(参考記事)
こんな、プログラミングスクールが流行しているのも日本だけでしょう。
何故、技術水準が低いのか?
原因はいくつか考えれます。
ひとつは日本企業に特有の「年功序列」とIT業界との相性の悪さが指摘されることがあります。
ですが、私は、もっとより根本的な問題があるという持論を持っています。
これは、ズバリ、宗教の問題です。
日本で最もメジャーな宗教は神道ですが、神道にはあらゆる概念には神様が宿るという考え方があります。
だとすると、ソフトウェア開発の神様やプログラミングの神様もいることになりますが、少なくともそれらを祀った神社が存在しません。
別の業界、例えば、これが農業であれば、自然や豊穣といった概念に神様がいて、祀られていることがあります。
例えば、農家が生産性を求めるあまり、自然破壊的行動に走ったらどうなるでしょうか?最終的には自分で自分の首を絞めることになりますが、もっと言えば、業界全体を破壊してしまいます。
ここで重要になってくるのが神様の役割で、日頃から神様に感謝するという文化があることが、自然破壊的行動に対する歯止めになっていると思うのです。
言い方を変えるなら、宗教は倫理の根源になり得ます。
感謝を忘れないようにするために祭りをするという文化もありますが、こうした文化も、IT業界には存在しません。
その結果、生産性を求めるあまり、業界全体の破壊や信用失墜に走ってしまうプログラマが、数多く存在してしまいます。
例えば、引継ぎを全く考慮せず後任者がどうなろうが知ったことがないと言わんばかりのプログラムを書く方がいます。(こうしてできた、保守不能なプログラムを技術的負債と言い、業界の大きな課題となっています。)
例えば、保身に走って部下を全く教育しない上司がいます。
プログラミング上達のためには何をすればいいか?
以上のお話から伝わったと思いますが、プログラミング上達以前に、プログラマとしてやるべきことがあります。
それは、信仰を持つことです。
これは何教であろうと構いません。信仰は倫理や根源になり得るので、ご自分が既に何らかの宗教に帰依しているならば、その教義を再確認してみましょう。信仰が無い方に、信仰を持てとまでは申し上げませんが、プログラミングの神様がいるということを意識してみましょう。
宗教にネガティブなイメージを持つ方もいると思いますが、私は日本は宗教に熱心な方が少ないことがオウム真理教事件のような悲劇的な事件を招いたと考えています。
私はキリスト教の教義を勉強したことがあるので、キリスト教について触れますが、古典的な宗教の教義と比べると、多くの新興宗教の教義は非常に薄っぺらにできています。
例えば、キリストが処刑されたことは、本来のキリスト教の教義では、すべて神様の思い描いたシナリオ通りの出来事であって、おめでたいことであり、人類救済の始まりだと解釈します。
これに対して、キリスト教から派生したカルト性の強い宗教では、これを人類救済の失敗と解釈し、だからこそ、新たな救世主が必要になった、救世主は我々の新興宗教の教祖であると主張します。
私は、古典的な宗教の教義をきちんと勉強しておけば、カルト性の強い宗教に入信してしまう可能性をむしろ減らすことができると考えるのです。
神様に感謝すること
さて、感謝という言葉を使いましたが、最初に神様の存在を認めたら、その神様に日頃から感謝することが必要です。
プログラミングはどんなに良い大学を出て居ても全くできない人がいるので、プログラミングが理解できて、プログラムが書けるという人は、その実力が多少低くとも、神様に選ばれているのです。
そのことをまずは感謝しましょう。
これはIT業界に限った話ではありません。「お客様は神様です。」なんていう人がいますが、これはとてつもない背信行為で、まずは、自分の業界に宿った神様に感謝するのが筋であるはずです。
ほとんどの宗教に共通する考えですが、「力」というのは、神様が与えたもうたものであって、神様は理由なく人に力を授けません。
プログラミングができるという力を授かったからには、そこに意味があるということについて自覚を持ちましょう。
プログラミングの力を授けたのが神様である以上、その力は神様の御心に沿うように行使されるべきなのです。
このブログの読者様はそれができているでしょうか?
ご自分の力の使い方が、果たして神様の御心に沿っているのか、ということを日頃から自問してみる必要があると思います。
私は司法書士登録をしていませんが、司法書士の業界の場合にも、このお話は当てはまるのではないでしょうか?
法律の世界には、目隠しをして剣と秤を両手に携えた神様(ジャスティス)がいますが、この神様に日頃から感謝しているという人がどのくらいいるのでしょうか?
ツイッターでも発言したことがありますが、私は司法書士倫理が嫌いです。明文化された倫理以上に、まずはこうした神様への感謝をすることが何よりも倫理の基盤となると思うのです。
神様にお願いごとをするなら
最後に、将棋の業界で印象深いニュースがあったので紹介させていただきます。
圧倒的な棋力を持つことで有名な藤井聡太さんが、将棋の神様がいるとして、お願いごとをするなら何をお願いしますか?とインタビューを受けた時、次のように回答しています。
「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい。」
他の棋士も同様のインタビューを受けたそうですが、「全戦全勝」等といった内容で、私には、藤井聡太さんの回答が凄く立派に思えました。
私は、どんな業界でも、超上位層になればなるほど、信仰や倫理の強さと、力は比例する傾向があると考えているのですが、その良い事例だと思います。
なお、私がプログラミングの神様にお願いごとをするとしたら、何をお願いするでしょうか?
「人類が滅亡するその時まで、プログラミングという営みが在り続けますように。」
とお願いするという結論に至りました。
私は、プログラマになって最初からこの境地に至っていたわけではありませんが、この境地に至ってから、実力も伸びて運も巡ってきたと思っています。
実力が低くても良い
プログラミングの実力が低くても、神様の御心に沿うことはできると思いますし、圧倒的な実力を持ちながら神様を冒涜するような行為ばかりしている人もいます。神様の御心に沿うことの方がはるかに立派だと思います。
例えば、この文章を書いている私よりも技術力の高い人はたくさんいると思いますが、それでもこの文章を書いたことは神様の御心に沿った活動だと思います。
事実、私のこの意見に救われたという方もいるのです。
以上です。
今回は、宗教お話を交えつつ、プログラミング上達の方法を述べました。
コメント