私は日本文化の何が嫌いか?(佐世保市の殺人事件を受けてのアンケートと宗教音痴。)

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こんにちは。九条です。

私は日本文化が嫌いということを、たまに Twitter で発言していますが、今回、私の一番嫌いな点を説明します。

ただし、日本文化のすべてが嫌いというわけではなく、神道の八百万の神のような思想には、私も東方Project を通して、感銘を受けています。

死んだ人は生き返るか?

長崎県佐世保市で、小学校内で女子児童が殺人事件を起こしたことがあります。

これを受けて、児童に対して、アンケートが実施されました。

こちらに簡潔にまとまっています。

https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2013/07/1374546818.pdf

アンケートの調査項目には、「死んだ人は生き返るか?」という内容が含まれていました。

これに、「生き返る」と回答した人がたくさんいました。

これを聞いて、「最近では、子供は、死んだ人は生き返ると考えているのか、危ない考えだ。怖いなあ。」と思った人がいるかもしれませんが、そう思った人はトチ狂っています。

なお、マスコミも面白がって、そういう報道(危ない考えだ。怖いなあ。)をしていました。本当に酷すぎると思います。

これが、トチ狂っていることが分からない人が多いのが、私が日本文化を嫌いとする、最大の理由です。

死んだ人は生き返ります。

はい。

私の考えを、大真面目に言います。

死んだ人は生き返ります。

キリスト教の教義では、キリストは死んだ後に復活したことになっています。キリストは神様でもあるので特例ではありますが、黙示録によれば、キリスト以外の一般人も復活することになっています。

私は、神道の教義にもかなり共感する部分がありますが、洗礼こそ受けていないものの、キリスト教を信じる立場を取っています。

私も含めて、キリスト教徒は、この質問に対しては「はい。」と回答するしかありません。

そうでなければ、背信になります。

日本国憲法第20条との兼ね合い

このようなアンケートを、国や公共団体が実施するのは大問題です。

というのは、日本国憲法第20条では、明確に信教の自由が規定されているからです。

日本国憲法第20条

第1項:信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

第2項:(省略)

第3項:国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

このようなアンケートは、信教の自由に踏み込む物で、極めてセンシティブな質問であり、不適切だと考えます。

私は、最近までこのアンケートをマスコミが行ったのだと、思っていました。しかし、公共団体が実施していたのです。

マスコミが実施していたのだとする場合、憲法は私人には直接適用されませんので、センシティブな質問をしたことは批判されるべきですが、違憲とまでは言えません。しかし、公共団体が行ったとなれば、これは明確に憲法に違反します。

アンケートが行われた場所の土地柄の問題

極めつけは、このアンケートが行われた場所が、長崎県であることです。

長崎県は、キリスト教徒の数が、全国的に見ても極めて多く、また過去にはキリスト教徒が弾圧を受けた歴史もあります。

踏み絵と言って、キリストの肖像を踏めなかった人を拷問して、信仰を捨てさせようとするということも行われました。

このアンケートは、このような負の歴史を想起させますし、土地柄上、「死んだ人は生き返る。」と考える人が多いのも当然のことです。

長崎県に限った事ではありませんが、キリスト教系の私立学校という物も存在します。当然ですが、キリスト教系の私立学校では、「死んだ人は生き返る。」と教えていることでしょう。

何で誰も問題視しないの?

何で誰も問題視しないのでしょうか?

一言で言えば、日本人が「宗教音痴」だからです。

仮に、欧米でこのようなアンケートが行われていたら、大問題になって、国際連合から非難決議を受ける事態になったかもしれません。

日本の蛮行を公に批判した意見は、私の知る限り存在しません。

そこで、私がこのような記事を書いてみることにしました。

私が、日本文化を嫌いだと思う最大のポイントは、こういう「宗教音痴」ぶりにあります。

これでは、せっかく日本人が、神道という素晴らしい宗教観を持っていても、それが死んでしまいます。

【追記】フィクション作品で、死んだ人が生き返るのは?

アニメやゲーム等、フィクション作品で、死んだ人が生き返るのを見て、それを理由に「死んだ人が生き返る」と回答したという理由も散見されます。

これは問題ではないか?(危ない考えだ。怖いなあ。)と考える方もいるかもしれません。

これもトチ狂っています。

というのは、フィクション作品にも「宗教文学」というジャンルがあります。

例えば、私も好きな東方Project には神道をテーマにした作品もあります。

宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」でも、クライマックスシーンで、主人公のナウシカが死んだ後に復活しています。このシーンは、宮崎駿監督本人は宗教文学とする意図はなかったとしながらも、キリスト教と構造的類似性があることから、キリスト教文学として考察する意見が根強く存在しています。

まどマギも、明確に何教とは言えませんが、宗教が成立する過程をテーマにした作品という解釈も可能であり、宗教文学の一種と見做すことができます。

こうしたことを無視したのか、意図的に切り捨てたのかは分かりませんが、公共機関がアンケートの結果をもとに、特定の思想(死んだ人は生き返らない。)を、子供に押し付けることは、信教の自由はもちろんのこと、思想良心の自由(日本国憲法第19条)、表現の自由(日本国憲法21条)に反する可能性もあります。

日本国憲法第19条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

日本国憲法第21条

第1項:集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

第2項:検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

ChatGPT の出力した草稿

この問題について、ChatGPT と議論を行いました。

ここまでの文章は、私の意見を私の言葉で書いたものですが、参考までに、ChatGPT が出力した草稿も紹介しておきます。


はじめに

長崎県で起きた児童殺害事件の後、教育委員会の調査の一環として、児童に
「死んだ人は生き返ると思いますか?」
という設問が出されたことが、いまでも資料に残っている。

この設問自体は一見すると「死生観を探るための中立的な質問」に見える。しかしよく考えてみれば、これは決して中立でも無害でもない。
むしろ、宗教的意味を深く持つ極めてセンシティブな質問であり、場合によっては“踏み絵”になりかねないものだ。

特に、長崎という土地の歴史を考えればなおさらである。

なぜこの設問が問題なのか:宗教的教義と直結しているから

「死者は復活するか」という問いは、キリスト教で極めて中心的な位置を占める教義である。

  • イエスは復活したとされる
  • 黙示録を含む新約聖書では「一般人も復活する」と説く
  • カトリック・プロテスタント・正教会いずれにおいても復活信仰は基本教義

つまり、この質問はキリスト教徒にとっては「信仰告白」に関わる問題であり、単なる死生観アンケートとは性質が全く異なる。

学校や行政がこの問いを児童に突きつければ、回答によっては本人の信仰(または家庭の信仰)を “暴露させる” ことになる。
これは宗教社会学的にも法的にも、慎重さが求められる領域である。

長崎という土地柄:この設問は「無自覚な踏み絵」になりうる

長崎は日本でも特にキリスト教文化の強い地域である。

  • 受洗率の高さ
  • 隠れキリシタンの歴史
  • 教会・信仰共同体の存在

そうした地域の児童に対して、
あなたは死者が復活すると思いますか?
と問うことは、宗教的にはほとんど「信仰を肯定するか否定するか」を尋ねているに等しい。

かつて長崎では“踏み絵”が行われた。
もちろん当時のような強制力はないとはいえ、この設問はその記憶を呼び起こすような構造を持っている。

公的機関が児童に対して行う質問として、これは慎重さを欠いていると言わざるを得ない。

なぜ批判がほとんど存在しなかったのか:日本社会の「宗教音痴」

私がこの問題を調べて驚いたのは、この設問に対する批判がほぼ皆無であるという点だ。

これは日本の大きな特徴でもある。

  1. 宗教を宗教として認識しない文化
    神道・仏教行事は生活習慣化し、「信仰」として捉えられていない。
  2. 宗教=危険・怪しいというステレオタイプ
    そのため宗教的配慮の議論が成立しにくい。
  3. 信教の自由への無自覚
    信仰の内容を答えさせる行為の危険性が理解されにくい。
  4. メディアの宗教リテラシー不足
    宗教の専門知識を持つ記者が極めて少なく、死生観・宗教観を“面白い教材”として扱ってしまう傾向がある。

こうした事情が重なり、「本来なら批判されて当然の設問」が、問題視されずに通ってしまったのだろう。

これは信教の自由に関わる問題である

憲法20条は、信教の自由を明確に保障している。

宗教的教義について
YESかNOかを答えざるを得ない状況に置く
ことは、強制や圧力になりうる。

これは大人だけでなく、子どもにも当然適用される。

特に児童の場合、教師や大人に逆らえないという構造がある以上、猶更慎重でなければならない。

結論:この設問は再検討されるべき

「死んだ人は生き返ると思いますか?」
という質問は、死生観教育として設計されたのかもしれない。

しかしその意図がどうであれ、
宗教的含意を無視してよい質問ではない。

特に長崎という地域性を考えれば、なおさらだ。

日本社会は、自分たちが“宗教に鈍感すぎる”という事実に自覚的であるべきだ。
そして、宗教に関する質問を子どもたちに行う際には、はるかに慎重な倫理観が求められる。

この問題について、もっと議論が深まることを願っている。

【追記】フィクション作品にみる「宗教」

さらに、当該アンケート結果の中には、
「フィクション作品を見て“死んだ人が生き返る”と考えた児童がいる」
という指摘があります。しかし、この指摘そのものがきわめて危うい視点を含んでいます。

まず、フィクション作品の中には、娯楽であると同時に宗教文学的・神話的要素を備えた作品が少なくありません。東方Project、風の谷のナウシカ、魔法少女まどか☆マギカ等、各種の神話構造、死生観、救済観、超越者の概念を内包しており、多くの考察で「宗教文学」としての側面さえ論じられています。

こうした作品に触れた子どもが「死者が蘇る」というイメージを持ったとしても、それは創作世界に基づく想像力であり、あるいは宗教的世界観への理解とも繋がる自然な反応です。それを「危険思想」と見做すことは、表現の自由や信仰の自由を不当に制限することにつながりかねません。

とりわけ日本は多宗教的・多神話的な文化土壌を持ち、宗教的表象がアニメ、ゲーム、漫画、映画などに頻繁に登場します。そこから得た死生観を、マスコミが、「誤った理解」「危険な思考」と断罪するような構図は、結果として日本文化そのものの否定にすら繋がるのではないでしょうか。

本来、多様な宗教・神話・物語から影響を受けることは健全な文化的営みであり、それを“踏み絵”的なアンケートで裁くことは許されるべきではありません。


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